・タイトル:「神の選びの結果」
・聖書箇所:使徒言行録 13章13節~25節
・担任教師:飯塚光喜 牧師
名前を変えること
お気づきのことかとかは思いますが、この使徒言行録の13章から、名前が前か後ろかにひっくり返っています。
それはまず、サウロと呼ばれていた人が、この13章からはパウロという名前に変えられています。
サウロという読み方はヘブライ語的、ユダヤ語的な読み方で、パウロはローマ的な読み方です。
パウロはお金持ちだったのか市民権を持っていたようです。
市民権がどのような効果があったのかはわかりませんが、今風で言うとアメリカで市民権を獲得して参政権などを受けられるという、身分保障のようなものをもっていたようです。
パウロとなづけられたようです。
名付けられたということですが、なにも名前を変えなくてもいいのではないかと思ってしまいます。
なぜ変える必要があったのかと考えると、パウロという人は以前からいたユダヤ社会では生きにくくなってしまっているのです。
かつては彼はユダヤ人の中のユダヤ人であったわけですから、その彼がユダヤ教以外を信じないという気持ちであったのを、イエスとの出会いによって回心し、ひっくり返るわけです。
一変してみたところで、サウロということは変えられません。私という者をどれだけ変えようとしても私という存在は自分の生きる場所では隠しようもないわけです。
隠しようもない彼が少しでも反感などから逃れるために、別人になったふりをすることによって自分の安心を得ようとすることもあるわけです。
日本でも前科を隠す意味、あるいは売れないからということで名前を変えることもあるわけです。
自分の名前は占い師に占ってもらうとよくないとして名前を変えることもあるわけです。
私の名前のことを言うと、私は「光」に「喜ぶ」と書くわけですが、光のないものがなぜそう書く、名は体を表すというわけですが。現実から言うと光を喜ぶとは正反対の立場に生かされながら、名前を変えるわけにはいかないのです。
出来れば自分の名前を変えたいなんて、思うこともあるのです。
余計な話ですが、小学校の頃におなじ集落に私と姓も名も同じ字を書く子供がいたのです。
ただ私は「いいづか・みつよし」と読みますが、その人は「いいづか・みつき」と読むのです。
それから同級生に、「いいづか・こうき」というものもいました。
彼は「幸い」に「喜ぶ」でした。
3人が同じ村に住んでいて、学校の終業式の時、校長先生が私の名前を読みます。
ただ、私の名前を正しく読まれたことはありません。
「こうき」「みつき」と読まれてしまうのです。
それでもあらかじめ返事しろ、と言われているので、返事をするわけです。
しかしながら友達に「なんだ、本当の名前呼ばれていないじゃないか」といじめられたこともあるのです。
それは本当に困ってしまいました。
担任の先生も直してくれません。
ちゃんと呼んでくださいとも言いませんでしたから、あらかじめ返事する場所で呼ばれると、あとで友達から言われて。1年から6年までいじめられました。
それと同じように、パウロも同じだったと思うのです。
しかし、キリストとの出会いによって自分の名前を変えることによって広さ、角度を持つことになるのです。
当時のユダヤ勢力を支配していたローマの名前を持つことで自分の権力を保証されることになるというか、そういうこともあったのかな、と思うのです。
それでサウロがパウロに変えられ、ローマ市民権を持ったパウロとして伝道を始めたのかな、その方がやりやすかったのかな、と思うのです。
パウロの教えの意味
ローマにとってイエスは好ましくなかったわけですから、体制側からも被征服民であろうと迫害者の側に立たざるを得なかったという身分の中で、今まで彼を導いてくれていたバルナバではなく、バルナバが仕える側として異邦人伝道に入る、いわばローマ帝国の支配する場所から一歩出た場所でのパウロとしての活動が始まるわけです。
それはもちろんイスラエル民族がイエスが誕生する500年前にイスラエルは崩壊しているわけですから、国籍や国、居場所のない捨てられた、世界中に散らばされた民族なわけです。
おそらくディアスポラという人々は恨みつらみは強かったでしょうが、400年以上も昔のことですから、わかるはずがありません。
だからこそ先祖がユダヤ教であったとかは関係がないわけです。
今住んでいる場所が生きる場所で、無国籍だったユダヤの人たちに、パウロは冷静にあなたたちの先祖、イスラエルの先祖、ユダヤ教を生み出した人たちの子孫に対して、あなたたちはこうなったんだよと語るわけです。
それがイスラエルの歴史であり、ユダヤ教のありようを語るわけです。
要するにそこでは捨てられたディアスポラであり、先祖がどうであろうとひとりのユダヤ人だというところから、あなたたちは神様から選ばれたユダヤ人なんだよ、ということを伝えたわけです。
自分たちは捨てられたユダヤ人でありつつ、そのユダヤ人であるあなたは、神の歴史を持つ人であるのだ、あなたたちがそこにいることは、神の歴史の中にいることなんだよ、とパウロは語っているのです。
要するに神の歴史を背負ったあなたたちなんだよ、と力説しているわけです。
神の歴史を語ることによって、あなたたちの存在意義と価値とが示されることをここに語られているわけです。
私たち日本人は500年前だとそれほど古い昔ではないわけですが、いま生きている自分だけが自分という風にしか自分の実存を示せないわけですが、パウロにとってもユダヤ人という民族には神の歴史が伴っているんだということを、パウロは語ろうとしているのです。
私たちには歴史があるのかないのかわかりませんが、子供のころに習った歴史は神話でしかなかったわけですし、それが本当かウソかを論じること自体を禁止されていたわけですから、よくわからないですが、少なくともパウロにとってのユダヤ人の歴史は、神の歴史に基礎づけられたものでした。
ですから自分だけの存在ではなくその存在の中に神がおられるのだと、パウロは一生懸命語ろうとしているのです。
そのあり方の中にパウロはたまたま日曜日にユダヤ教の教会に行ったときに、教会の長老に何か励ましの言葉を語ってくださいといわれ、彼は語るわけです。
細胞
これも私は経験があるのですが、たまたま田舎に帰ったとき、日曜日に近くの町の教会に行ったのです。その教会は教団の教会ではないのですが、そこの先生は私と同郷の先生でした。ですから、あそこの村の先生だということが懐かしくて行きました。
40人くらい集まっていた教会だったのですが、同郷の先生のお嬢さんが副牧師のような形で留守を預かっている牧師でした。
お嬢さんは私が中学校に通っていたころに女学生だった、顔見知りの人でした。
礼拝が終わったらお嬢さんから、何か一言証をしてくださいといわれてしまったのです。
まだ神学生だったかのころです。
何を証したらいいのかわからないのです。
神学生でありながらキリスト教の話を知っていたわけではなく。自信もなかったのでもたもたしていたら小さい時のことでも、どうして牧師になろうとしているのかでもいいですから簡単にお話ししてくださいというので、今の神学校生活なども含めて話したのです。
私は話さなかった方がよかったかなと思ったのです。
なぜかというと私の話を聞いて、何人かの人が離れたというのです。
離れて教会の会派の人たちが教団の教会に移ったらしいというのです。
パウロも恐らくそういう経験をいたるところで舌のではないか。
例えばユダヤ教がキリスト教徒に変わるというのは大変なことです。
そういうことをずっと世界中を回って語り伝えてきた彼が、どれだけ恨まれたり憎まれたり、悪口を言われたか知らないと思うのです。
私は別に教会に行って分裂させようと貸したわけではなく、素直な気持ちで話しただけだったのですが、その素直さがその教会から人を引き離すことになってしまいました。
そのことに対して本当に申し訳ないと、何十年もたってお父さんの先生と東京であったときにお話しして、あれは本当に良かったといってほめてくださったことで安心したものでした。
パウロもそうだったのではないでしょうか。
伝道とはそういう者だったのではないでしょうか。
よく細胞分裂というものがあります。
日本でいう共産党の人に対してつかわれた言葉ですが、教会で言うとプロテスタント教会で言うとまさに細胞分裂と言えるのではないでしょうか。
公教会がなく、各個教会です。
世界中にいくつプロテスタンティズム教会があるかわからないくらいに細胞分裂して、それが総称すればプロテスタンティズム教会となるわけですが、カトリックのようにローマ教会を中心にしてそこで決められたものが末端まで同じようになるというものに比べると、パウロの伝道は公的なカトリシズム的な伝道ではなくて、はじめからプロテスタンティズム的な伝道をしたのではないか。
私たちはそのパウロに習って派遣されたわけです。
少なくとも私たち教師は教会に派遣されているわけではないのです。
神の名を語るものの使命
これは間違っているとは思いませんが、気づいてほしいことがあります。
ひとりの教師は教会に派遣されているわけではない。
教会を通してこの世に派遣され、使わされているのが教師なのです。
これから神学校に行こうとしている人たちがいるときに論文を書かされるわけです。
あなたにとって教会は、などといった内容です。
私も書かされた経験がありますが、私は神学校に行くときは視覚障碍者でしたから。教会の親玉みたいになって何十人もの人たちを指導するなんてことはできない、無理だと思っていたわけで、どこまでも一人の語り手として、出来ればほかの仕事をしてでもやっていくことがいいと考えていました。
だからこそ教会なんて持とうとも考えていませんでした。
パウロもそうだったと思うのです。
教会なんて経てようとも思わなかった。
ただ語る場所として、雨風をしのげる場所を作るだけであって。パウロはそこに遣わされた伝道師ではなかった。
その外側、いわゆる異邦社会、世俗社会に遣わされた一人の伝道者として生きた。
ここで面白いことに悪いことをすれば逃げ去るわけです。
帰ってしまったのです。
ということは意味があったと思うのです。
イエス以前にヨハネ教団というのは異邦社会でも受け入れられていた。
その誤解を招かないために、ヨハネは自分は何者であり、期待するほどのものではなく、単に私は後から来る救い主としてのイエスの靴を脱がせる、紐を結ぶ価値さえないものなんだよということをヨハネは言い残すわけです。ここでまさにヨハネ教団は一歩も二歩も退いたうえで新たなイエス・キリストを主とする新しいキリスト教が誕生し、歩みだしていく一歩としてパウロの旅立ちが始まるわけです。
それは決して教会に遣わされているのではなく、異邦社会、いわば何教とも断絶されて捨て去られた異邦社会に住む同胞のための伝道者として彼は遣わされた。
あまり語られていない話ですが、日本で12月8日、真珠湾攻撃のとき、三浦さんという兵隊が大成功を上げた軍人さんが戦後、牧師になられて、アメリカ伝道をなされるわけです。
彼はかつては敵国であったアメリカ人を殺した軍人、しかも手柄をとった軍人さんが頭を丸めて、アメリカにわたってキリスト教を伝道した。
彼は老後は随分苦しい思いをなさって亡くなったとある本に書いてありました。
日本では受け入れられなかったのです。
アメリカでもはじめは脅迫されたりなどしたようですが、彼はとにかくイエスキリストの名前だけでも語らせてもらうということで自分の過去を清算していくという生き方をしたのです。
パウロもそうでしたし、私たちもそうでしょう。
キリストを捨てた私たちが、捨てられたキリストを救い主として語るために派遣されている。
何のことはない。
建物の中に居座って語るわけではない。
捨てられた家、放り出された家などで城壁の外ではりつけにされたイエス・キリストの名を語るために遣わされたのだということを、牧師であろうと信徒であろうと、使命であり責任であり、恵みであり、そのためには苦しみや迫害が伴うことを自覚したうえでの歩みが、初代教会の先輩のありかたであり、学び取ることがあるのではないか。
教会にダイヤモンドを積みに来る、預金通帳の宝としてではなくて、捨てる律法から拾う福音へと拡張していくために召されているのだと、学び取らなければならなライノではないか。
私たちの命は決して無造作に、むやみに取り扱ってはならない。
そこにはとっても大事なものがピタッと張り付けられている。
そのことを考える機会になればと考えています。
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