2021年10月3日 礼拝「ヘロデ王の死」(飯塚光喜牧師)

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・タイトル:「ヘロデ王の死」
・聖書箇所:使徒言行録 12章20節~25節
・担任教師:飯塚光喜 牧師

ルカが語らされている

みなさんは月曜日から土曜日まで、日曜日も含めてどのような時をお過ごしか、存じ上げませんが、今日、ただ今読んでいただきました使徒言行録の短い12章の20節から25節までのルカの書かれたものを読んで、とてもこの通りだったと、私はよくわかりませんが、この短い文章の中にルカという人の背後、脳裏に何かが投影されているという感じがしてならないのです。

ルカ自身が語っているというよりも、ルカが語らされているという印象を浮けるのです。

私たちが聖書を読むときに、どうしても字面を追ってみたり、わからなければ字引を引いてみたりしたりしますが、その読んでいる自分の後ろに、影、お札で言えば透かしのようなものを、果たして持ち合わせて聖書を読んでいるのかということを、この一週間ずっと考えさせられてきました。

今日見た夢、そしてよきサマリア人のたとえ

変な話ですが、私は寝坊しました。途中目が覚めたのですが、明け方4時ごろにまた寝てしまったのです。

そして夢を見て目が覚めました。

夢の話をしたいと思うのですが、自分の家に帰ろうと思って電車に乗りました。

その時によくわからないのですが、ひとりの介助者と一緒になったのです。

どんな方かは記憶もないのですが、降りるべき駅で降りるときに、自分しか降りないのです。介助者は降りてこないのです。

しかし自分の行くべき道はわかっているような気がするものですから、ホームを歩いていくと、ずいぶん広く、長くなったりと昔からするとホームもずいぶん変わっていました。

電車が行ってしまったのち、私一人で線路を渡って改札口を出て行ったのです。

するとそこに、面白いことに何人かの牧師さんが夢で現れました。

二人は有名な牧師さんで、誰が聞いてもわかるような牧師さんでした。

そこでふたりの牧師さんに「迷うということはどういうことか」と説法をしました。

説法したまま牧師先生はすっといなくなってしまいました。

するとその後、中年のご婦人の方が、なんとなく見張りながら遠ざかりも近づきもせず、見張るようについてくるのです。

しかしその人も手を貸そうとはしません。
距離を置きながら見張っているのです。

何人かの若い人も横を通るのですが、迷っていると思わないのか、だれ一人貸そうとしてくれません。
そのせいで改札口まで出られないのです。
すると一人のみすぼらしい男の子が私に声をかけて腕を捕まえました。

正直言って、私にも差別性があるのか、触れてほしくないような子供に手をつかまれて嫌だなぁ、と思ったのです。

しかし、その子はとてもなつっこく優しい声で私をつかんで案内してくれました。

この夢を見たとき、聖書の背景がありますが、よきサマリア人の物語を思い出しました。

偉い先生は説教をしますが、決して手を触れようとはしてくれません。
ところが、本当は触ってほしくないような人が何気なくためらうこともなく、安心させるように経験的に聖書に描かれている物語をイメージして聖書を読むと、思い出すことがあるのです。

ルカの国家論

この今読んでいただいた使徒言行録には、ルカという人の背後に聖書の物語が投影されているような気がするのです。
例えば20節ですが、ヘロデ王はティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。
これはもしかするとヤコブが飢饉になってエジプトには食料がいっぱいありそうだ、でもエジプトに頭を下げるのもいやだ。

ヨセフの物語もありますが、彼はエジプトで出世します。
ヤコブたちにとってはなんとも言えない気持ちを感じてしまいます。
それがここに描かれているように感じます。

そして和解を申し込んで食事を戴くことになります。

そうすると、王様の洋服に着飾ったプライドの高い、横暴なヘロデが着飾って演説をする。

それを聞いた聴衆が人間の声じゃないと絶賛するのです。
ここにはどうも意図があるように感じるのです。
するとヘロデに神の力が及んで死んでしまうわけです。

これはイエス時代のローマ帝国の滅亡を予告している、ルカの創造性の問題だと思うのです。

ここでルカが言いたいのは何なのかというと、我々21世紀に生きる者たちにとって、国家、権利を保障してくれるものは宗教ではなく、国家権力に依存しての生活であるということです。

国家の仕組みは複雑なのでしょうが、ひとり一人が汗水たらして働いた成果の何パーセントかを吸い取って分配するのが国家なのでしょうが、それも公正に分配されているとは思いません。

では、国家とは何でしょうか。

横暴な国家が永久に保存され、安定化している国家などあるのでしょうか。
ローマに在住しているある女性は、ローマ帝国についてたくさんの論文を書いている人がいました。

今の超大国、アメリカなどに行っているわけですが、その中でかつて日本は完全に敗北をした。

その敗北の経験は日本だけではなく、イタリアやドイツもしているわけです。
その中で世界に貢献するようになった国はドイツか日本なのかもしれません。

しかし、イタリアを抜きにして戦争はできないというのです。

何年か前にパウロ2世が亡くなった時の告別式に、世界中の首脳がほとんど参列した。イスラム諸国家の王様まで参加したそうです。

ところが、日本はイタリア駐在の大使などを派遣しました。
あまりに宗教に関心がない、外交の失敗だと論破していました。

このヘロデ王も似たような横暴な権力者が世界の各地で反乱を起こしています。
そこで国家とは、国家権力とはなどと言いながら独裁的な政治体制の中で争いをしている。

おそらくイエス時代において、宗教などなかったのかもしれません。
キリスト教もありません。

なんといっても国家、食料を与え、安全を保障してくれる国家は、敵をも殺す国家であり、その中で生かされているわけです。

アフガニスタンでもシリアでも、ベトナムでも、みんなそうなのです。

決して我々の望む国家ではなく、宗教はその道具となっており、道具である宗教である以上、軍隊の武器と同じで、宗教もまた相手を殺す武器であることを宗教家は危機感を持たないといけないと思うのです。

物語としては多く書かれていませんが、今まで学んできた中でローマの兵隊の隊長さんがキリスト教に改宗するわけです。

ルカが言いたかったのはこのことだと思うのです。

これは、横暴なローマ帝国、ヘロデの神を殺すローマ帝国、ローマ兵に対して、ルカは何らかの意味でこのキリストの福音というのを語ろうとして、ローマの兵隊さんのお偉いがたをキリスト教に改宗したことを、ルカはどうしても語らないと思った。

読んでいる我々はあまりピンと来ないかもしれません。

日本は第二次世界大戦で敗北をして、絞首刑になった当時の指導者の中に、キリスト者がいたそうです。

あまりこのことは表には出なかったそうです。
そして拘置所で終身刑のA級戦犯者は亡くなる前に洗礼を受けて、亡くなりました。

この娘さんは確かベ平連をしたお嬢さんだったと思うのです。

イタリアに住んでいらっしゃる作家さんは、今こそ日本はいろんな意味で立ち遅れたり遠慮したり、冷たい眼で見られるようになってしまった日本が日本であることを発揮するならば、このルカのような政治学を持った外交をすべきだ。

国家というのは、ヘロデがなぜ死んだのかはわかりませんが、ルカが書いているとおり、神に栄光を帰さないものは滅びるんだということがルカの政治信条であり、ルカの信仰でもありました。

したがって20節から25節までのルカの発言は、ローマ帝国に対する革命の宣言だと、ある方は書いています。

それは世界の道はローマにつながるといっていたローマ帝国も滅びました。

福音の苦い真水

しかし、苦しめられたあの馬小屋に生まれたイエスの福音は、2000年たっても世界人口の3分の1を確保しました。

もちろん数の問題ではありません。

このことをルカは夢見て言ったのかはわかりませんが、このルカの教会に対する革命の宣言は、今私たちはそれを受け取りながら次世代へとつないでいるその役割を、私たちは追わされているのだ。

決して国家の甘い汁を吸おうとしない、厳しい福音の苦い水を真水として飲むことが誉れなのだ。

ルカはこのことをこの後、バルナバとサウロの2人の果たした任務、

それはエルサレムに対する救済であり、保護であった。

それを果たすために、二人は苦難の道を歩むことになった。

その背後にも、パウロの後姿がルカの後姿に逢わされて透かしのように描かれているのが、この章ではないか。

そういった背景を持ちながら、聖書の神の言葉の力が私たちに与えられるのではないか。

それを述べ伝えることが喜びになるのだということを学びたいと思います。

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