2021年6月27日 礼拝「神殿を強盗の巣にするな」(河口陽子伝道師)

礼拝説教
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・タイトル:「神殿を強盗の巣にするな」
・聖書箇所:エレミヤ書 7章1節~15節
・担任教師:河口陽子 伝道師

歴史的背景

人の一生、人生は人それぞれ、短くても濃縮された充実した人生だったり、紆余曲折、転換点がいくつもあったり、人には真似できない程の波乱万丈だったり……
エレミヤの人生も、おそらく60何年かの生涯において、預言者としての活動は激動の40年間、突然の出来事も、転換点もあったのです。

エレミヤ書は今日から7章に入ります
この7章の初めから8:3まで最初の長い散文、文章の所です。
今日の所はエルサレム神殿の門前での正(まさ)しく命がけの訴え、説教でありました……

神が住まわる神殿を侮辱した、貶(おとし)めた、すなわちそれは国家宗教であり民族の尊厳、アイデンティティでもある神ヤハウェを侮辱したのと同じ……
「神を冒涜した大罪人だ~!」とのレッテルを貼られ、国家と国家宗教に対する反逆者として糾弾され、殺されるかもしれない……
そんな恐怖を感じながら、それでも神ヤハウェからの真のメッセージを伝えなければ、との悲壮な決意の元に発せられた命がけの説教だったと思うのです。

聖書の記述は必ずしも年代の順に書かれてはいません……このこのエレミヤ書もそうです。
ずっと先の26章に関連した記述があり、7章の方は主にエレミヤが語った預言、説教であり、26章の方はその説教によって起こった出来事、事件が記されています。
その26~29章は南ユダ王国の終末期におけるエレミヤの活動が記されていて、彼の友人であり秘書であったバルクによって記述されたのではないかとい言われています。
さらにこの7章がこの形に纏(まと)められたのはもっと後代、紀元前550年頃、申命記的な編集者によってかき上げられ、彼らの関心や偏見によって脚色されているとの推論もあります。

でも、今聖書として神殿の門前説教としてここに残されているこの描写の中に、エレミヤの生涯を掛けた預言者という使命を果たすべく、正に命がけの説教がある事には疑いがないと私は思うのです。
私たちは敬意を払って約2,600年前に思いを馳せて読み解いて、そこから今のこの私たちの現状を考えてみたい、と思うのです。

交通の要所であって、人流も文化も宗教も入ってくる、肥沃なカナンの地……
そこに移住して来たイスラエル民族が、先住民族とも周りの大国とも駆け引きや戦闘を繰り返して来た……
統一国家となって、大きく花開いて、通商も文化流入も盛ん……そんな富と栄華を誇るソロモンの時代があっても、その後は北と南に分裂してしまったイスラエル民族……
大国アッシリアに対する政策の違いで北のイスラエル王国が南のユダ王国を攻撃した戦争を経て、
北のイスラエル王国は大国アッシリアによって紀元前722年に首都サマリアが陥落、イスラエル王国は滅亡、アッシリアの属国となってしまった……

南のユダ王国もそのアッシリアにエルサレム神殿を包囲され、存亡の危機の、陥落寸前……でも奇跡的に神殿は破壊を免れ、何とか生き残ったエルサレム神殿と南のユダ王国だったのです。

国内的には紀元前1010年のダビデによる王国の成立以来、徐々に階級化が進み、宗教は形骸化……
祭儀形式、外形、礼拝の形式は重んじても、その中身は失われ、その神のみ旨からどんどんかけ離れ、正に偶像化していったのです……

歴代の王たちの誤った政策により、土着のバアル信仰や他国の異教の神々の影響を色濃く受けていた現状もあり、
そこに今度はアッシリアの顔色を伺いながら、息苦しい抑圧感の中、生き延びて行かなければならなかった……

紀元前900年代のソロモン王の時代に総力を挙げて建造された、贅を尽くした規模も最大のエルサレム神殿、神の宮、聖都と言われる首都、エルサレムではありましたが、
北のイスラエルを飲み込み、さらに大国となったアッシリアの神々を受け入れざるを得ず、人身御供の様な蒙昧な迷信的行為も許し、抗議の声をも押しつぶし、罪のない者の血を流す、という流血の犠牲の上になりたっていあたのです。

紀元前640年に王となったヨシヤは、アッシリアが衰退し始めた事に乗じて、神ヤハウェの力に寄り頼んで、国力を盛り返そうと、律法の書に基づいて原点回帰、大胆な国粋主義的宗教改革を断行したのでした……
星々に香を焚いたり、慣習的で迷信的で、もはやヤハウェ信仰とは言えなくなった地方聖所だったのですが、それらを一掃、破壊、撤廃……
更にエルサレム神殿の中にも浸透していた偶像、異教的なものも全て廃そう、排除して、浄化を図った……
政治的な主権は勿論、宗教的にも祭儀や神殿礼拝を首都エルサレムに、エルサレム神殿に一点集中させた……
「神ヤハウェだけが唯一の我々の神である」との申命記的改革が行われたのです。
地方の神殿が亡くなった分、神ヤハウェに基づいた神殿での行事、祭儀、お祭り事はより大きく、地方や国外からも離散した民である邦人がエルサレム神殿に来て盛大に執り行われた……

そうした宗教改革を断行し、中央集権化を推し進め、国家復興、宗教的ナショナリズム、国家主義の期待がかけられていた改革者ヨシヤ王……
ですが、列王記下23章や歴代誌下34、35章に記されている様に、エジプトの王、ファラオ、ネコの軍を迎え撃とうと戦かったメギドの戦いで、不慮の戦死、非業の死を遂げるのです……
これが紀元前609年の事、若輩者のエレミヤが預言者の活動を開始したのが先の王ヨシヤの治世の13年の紀元前627年、それから18年が経っていて、若きエレミヤも中年の域に差し掛かっていたと思われます。

この年、ヨシヤの息子のヨアハズ(これは弟の方)が即位したのですが、この王はエジプトの王、ファラオ・ネコによって幽閉、拉致されてしまい、3か月で在位は終わってしまった……
そのエジプトの王ファラオ・ネコは退位させたヨアハズの兄であるヨアキムを王に立てて、これはもう意のままに動く操り人形、傀儡政権以外の何物でもありませんね、
ユダにエジプトに多くの貢物をよこせと要求したのでした……
それでこのヨアキム王(兄の方)は自国の民に、ユダの民に重税を課し、金銀を要求したのです……これでは貧しい者は益々貧しくなって、生活苦は更に酷くなったに違いありません……

26章の最初に、「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの治世の初め」、と記されいます。
エルサレム陥落、ユダ王国の滅亡は紀元前586年ですから、その23年前の出来事です。
エレミヤの預言活動の約40年間の中間点と言えるかもしれません……
その頃には、彼の名前も預言もそれなりに知られていたかもしれません……

今日の所は、改革者として多くの者から頼みにされていたヨシヤ王が前609年、エジプトとの戦いで殺されてしまったために、エジプト王の圧力で世代交代となってしまった……
新しい王の誕生といっても、それはエジプトの脅威の、支配の印であって、喜ばしいものではなかった……
元々臣下が押したのは兄ではなく弟だったのに……
エジプトのいいなり、民のことを考えずに、言われるままに貢物を沢山差し出して、エジプトの顔色を伺うだけの、こんな人が王になって大丈夫か?
そんな心配と不安の中で、日々の生活は困窮して行くばかり……
だから国内も対外的にも安定せず、南のエジプトの圧力とアッシリアに代わって勢力を拡大していたバビロニアに挟まれて、国力も衰退し、先が見通せない、希望が持てずに、国が滅ぼされるのではないか?と、先はあるのか?と、不安と不満も充満していた時代だったと思うのです。

そんな中での新しく(兄の方の)ヨヤキム王が誕生した前609年、初めての国家的祭儀、その時の神殿の門前での説教と思われます。
秋の収穫を祝う祝祭日か新年の祝いであったかもしれません。
前609年のヨヤキム王の即位式の時だとする説もあります。

神の命を受けて

「神ヤハウェを拝むために、この門に入る」……
民族の、国家の唯一の神を拝むため、イスラエル民族の人々が国を超えて遠くからも近くからもエルサレム神殿に詣でるために群がり集まって来た……
そのおびただしい群衆に向かって、預言者として神のメッセージを伝える命を受けたエレミヤだったのです。

その神の命とは何なのか?
それは「もし国民が『寄留の外国人、孤児、寡婦』など下に見られ、一人の人間として認められない、律法の外に、枠の外に追いやられた人々を顧み、まるで豊饒の神を拝む様に『主の神殿、主の神殿、主の神殿』と迷信的に蒙昧的に拝むなら、それは空しいだけなんだ!」
と伝えることであり、
何よりも誰もが一番の頼みにしている「この主の神殿も、その神自身によって審判を下され、破壊されてしまうのだ!」と叫ぶことであり、
主の神殿と「私の名によって呼ばれるこの神殿を、強盗の巣窟、強盗の巣にするな!」と、神の怒りを伝えることでした。

でも、当然それを聞いた、神殿に仕える祭司も、お抱え預言者も、群衆も、皆、激怒、激昂、、、
「神を、神殿を冒涜した!」と、エレミヤを捕らえて殺そうとしたのです。

この記事は新訳聖書の4福音書にあるイエスの神殿の境内での商売に怒った所謂「宮清め」の記事と重なります。
イエスはイザヤ書56章の「私の家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」との記述と、このエレミヤ書の「強盗の巣」の両方を引用して当時のエレミヤと同じ怒りをぶちまけたのです……
そしてエレミヤと同様、イエスが宗教的権威者たちの、自分たちの権威を脅かす脅威の存在となった事で、「神を冒涜した!」として、イエスも命を狙われる存在となったのでした……

「主の神殿」

(旧約聖書で「主」と訳されている言葉の原語は「ヤハウェ」です)
エルサレムはユダ王国の首都であり、国家の中心……統一国家を果たしたダビデがここに都を移して以来、イスラエルを象徴するものでありました。
北のイスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされた時も、このエルサレムは包囲されたが何とか陥落を免れた……
それは「神ヤハウェの神殿だから、、、」という迷信的な信仰、いえ信仰とは程遠い、蒙昧、過信、思い込みとなって人々に浸透して行ったのでした。

これまでお話しして来た様に、頼みの王ヨシヤの死や傀儡政権の誕生は、ユダの人々に不安と恐怖を与えました……
「この国はこれからどうなるのだろう?」
「南のエジプトや(アッシリアに代わって台頭して来た)北のバビロニアに滅ぼされるのではないだろうか?」……
と、口に出して言ったかどうかはわかりませんが、殆どの人が、
「この先この国はどうなってしまうのだろうか?」
「自分たちは生き延びる事ができるのだろうか?」
と恐怖の渦の中に吸い込まれる様な、不安で押しつぶされそうな思いだったと思うのです……

だからこそ、あの東北の震災の時に
「大丈夫だ」
「きっとここまでは襲ってこない」
との安全バイアスが働いて逃げ遅れた多くの人の様に、
「ここは神が民のただ中に住まう所、とこしえに神の威光が輝く所」……
だからすべてのことがエルサレムに関しては順調であろうと……
政権交代で更に暮らしが生活が立ち行かなくなる人たちの事は目に入らず、自分が生き延びることだけを案じて、自己暗示の様に「主の神殿、主の神殿、主の神殿」と唱える多くの人々……

異教的な物が排除されたにも拘わらず、神殿自体が偶像化することになってしまった……
寄り頼み、ただ安心したかったから、、、

今このコロナ禍で不安のただ中いいる私たちにはこのこの気持ちは分からないでもありませんね……
でも、エルサレムの神殿も城もイスラエルの救いの保証とはなり得ない、
そんな事は架空の、幻想であって、空しいのだと……
迷信的な蒙昧的な過信は、物事の実態を現実直視を妨げる、危機感を鈍くするだけだと……
民の偽りの宗教行為に対するエレミヤの痛烈な批判……

コロナ感染、今の日本の状況とオリンピック?

私には今の日本と重なる思いがするのです……
コロナ感染……特に東京はこの一週間は増加に転じています。
更に今までの2倍近い感染力があるとされるインド型の変異株であるデルタ株……その更に変異株のデルタプラス株の出現、その感染力、不気味さ……
エスカレーターですれ違っただけでも感染するとも……
症状として手足の壊疽もあると……
エレミヤの時代と同様に不安が増大していきます……

そんな中でもう開催まで1か月を切ったオリンピックを
「安全安心でできるわけがない!」と多くの人が思うのは当然だと思うのです……
最初からオリンピックありきで、「安心安全なオリンピック」の掛け声の元、強硬に行われ様としているとしか見えない……
「大御所が付いているオリンピックだから大丈夫、何とかなる」
みたいな安易さがあるのでは?と思ってしまうのです……

更にコロナの第5波と重なって医療崩壊になってしまったら、人の命が人命が、助かる命が助からなくなるかもしれない……
この間の北海道の医療現場では実際、40代と90代の患者とどちらを優先させるかと選ばなければならない程、逼迫した状態だった……

それでも開催しようとするのは、原発の問題と同じで、一部の利権を優先している、
「強盗の巣と化している!」としか思えません……

命の不安、コロナの恐怖に対するオリンピックという祭典……
これは他国からの攻撃、占領の不安と恐怖に対する神頼み、宮詣で、
と同列に見えてしまう、同じ構図に見えてしまうのです……
「祭儀、祭典で何とかなる」
と、重なって見えてしまうのです……

同じ人間なのに……スリランカ女性の悲惨な死

5~6節「寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず」
と申命記的な記述、ずっとこの神のメッセージは繰り返し語られて来ました……
改めて今このコロナ禍でもこの人権思想とも言える、弱さを抱えて、抑圧され、蔑まれて来た人たちが、今でも大事にされていない……
特に国難とも世界の危機とも言えるこの非常時になればなる程、ここに上げられている様な律法の枠の外に追いやられた人たちは益々追い込まれて行く、という事実を実態を突きつけられるのです。
前から問題であった事がコロナ禍で一層あぶり出されてるのです。

コロナ禍で休業や倒産が相次いでいますが、真っ先に切られるのは不定期労働者、住み込みのサービス業で働く女性たち……
外国人労働者や女性、児童養護施設を巣立った若者たちも一層大変になり、自ら支援団体を立ち上げたりもありますが、その働きとその必要性が増しています……

易い賃金で安易に使える労働者として、いい様に使われて来たベトナムなどからの留学生や研修生や非正規労働者……今更に生活は困難になり支援団体の援助があった人たちでも、身を寄せ合って集団で生活をせざるをえない、援助にたどり付けない人たちは……行方が分からなくなった人たちは……

この3月に、若いスリランカの女性、ウィシュマ・サンダマリさんが名古屋市の入管施設内で亡くなりました……
支援者と来日した二人の妹が悲しみと怒りを訴えたことで、大きく報道され、カルテと報告書に相違があるなど、事実を隠蔽している疑いがあるとの事……在留資格を失っていただけで、何も悪い事をしていないのに、入管、出入国在留管理局に収容され続け、嘔吐を繰り返して体重が激減、食事も薬も飲めない状態なのに、仮放免の申請も認められず、点滴も医師もカルテに必要と記載したのに本人も希望したのに受けられずに亡くなりました……

エレミヤの時代と同じ構造だと思うのです……
同じ一人の人間なのに、同じ人間としてとして扱われない、そこに問題があるのだと……

その呼びかけが無視された時、人を無視したり、搾取したりして祀り上げる神殿なんて、人の家に無理やり押し入って、縛り上げ、脅かし、金品を奪い取っていく、強盗、その強盗の巣、巣窟でしかない!
そんな強盗の巣に成り下がった神殿は、安全な場所どころか荒れた、廃墟となると、警告がなさるのです……

オリンピックも東京も安全、安心ではなく、今よりも更にコロナの犠牲者がが沢山出てしまう!との警告に聞こえてきます……

シロの二の舞

12節からは「シロ」が例に挙げられています
シロはイスラエル12部族のエフライムの地にあって、
ダビデの時代より更に前、預言者の先駆者とも言われるサムエルの時代には(モーセの十戒が書かれた石版が納められたと言われる)契約の箱が置かれた神ヤハウェの神殿があり、全イスラエルの礼拝の中心地であった……
なのに後にペリシテ人の為に神殿も町も全て破壊しつくされたという歴史があります。
その二の舞になるぞ!という警告なのです。

イエスの宮清めの意味

イエスの時代も神殿に仕える者がリベート、賄賂を取ったり、要求したり、焼き尽くす捧げ物を高く売ったり、両替の手数料をふんだくったり……貧しい者を更に貶める様にない者から更に奪い取る……
神の神殿がそんな非道なものと化していないか?!
とのイエスの痛烈な批判、怒りの行為だったのです……

亡きヨシヤ王によって進められた中央集権化……
一方でエレミヤを通して、神は中央ではなく、天辺ではなく、周縁を見よと告げている……
先週の飯塚牧師の説教の様に、神は求心力ではなく、遠心力を働かせる方……
中央に鎮座するのではなく、遥か遠くに飛んで行ったり、底の底、どん底までも急降下……存在を誇るのではなく、働く神なのだと改めて思わされた次第です……

教会も神殿の様に祭儀を重んじたり、集う者のお祭りの場ではなく、集えない者を案じて祈る、「祈りの家」でありたいと思うのです……

強盗の巣窟に逃れる者ではなくって、イエスを捨てた者であり、弱き者を捨てる者、気に入らない者を捨てるそんな者である私から、
イエスの福音の力によって、捨てられた者へと思いを馳せ、その悔しさ、無念さを噛みしめ、分断から解放へと歩みを進める者へと変えて下さい、と祈る者です……

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