2021年5月23日 礼拝「ペテロの働き」(飯塚光喜牧師)

礼拝説教
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・タイトル:「ペテロの働き」
・聖書箇所:使徒言行録 9章32節~43節
・担任教師:飯塚光喜 牧師

内容

「亜流」ペテロの話


キリスト教の元祖ともいえる、教理的に作り上げた使徒パウロの回心の出来事から、いよいよキリスト教を迫害するパウロから、伝道者となるさきがけに使徒言行録の作家であるルカはサウロの回心から本格的に活動する間にキリスト教の伝統を掲載しています。
われわれにとっては複雑怪奇な理屈が述べられています。
ある学者は9章の後半は歴史的に誰がどうしたという解釈は無駄だと、文学的・神学的に理解していくことが正しいのだという学者もいます。
今読んでいただいた中にもペテロという、イエスと寝食を共にした仲間の一人がいるのですが、パウロは直接イエスと触れ合っていないため、ある意味亜流と描かれています。
二人は異分子的な存在として描かれています。

キリスト教として認証してもらうためには、本部の認証が必要です。
それによってキリスト教なのだと根拠づけられると書かれています。
ですから、その筆頭はペテロなのです。
神様から天国のカギを直接受けた人ですから、カトリックでは元祖のように重んじられています。

ペテロもサウロを筆頭とした異教社会に、あるいは反キリスト教の世界に生きていた人が改心してキリスト者になったものとして、見過ごすわけにいかないので、承認運動が必要でした。
そのため、いろいろなところを訪問して人称っしてもらっています。

もちろん神様からしてもらうものですから、関係ないはずなのですが、人間社会ですから、組織や形式を求めてしまうというものがあるのです。
このようにいろいろなことを経てキリスト教になっていきました。

しかし、福音とは本来そう言うものではないのではないか。

雨後のタケノコのように直接神の啓示を受けた人に人間があれこれ言うことはできないのですが、秩序立てていくために必要だったのかもしれません。

保護という束縛、そして安心

この32節以下の人物は8年間寝たきりの生活をしていました。

マルコ福音書にも中風の人が4人の仲間によって担ぎ込まれ、イエスに癒されたいう伝承があったのだと思います。
これは目に見える形で事実のように突き付けられ、認めなくて花生けない中で、ここに含まれている問題は、8年間もベッドで生活をする、ということ。

これは寝ている人たち、不自由な人たちがベッドに寝ているということは一種の安心でもあったのです。働けずに寝たきりの生活はある意味安心でもあります。
その一方で保護という束縛があります。

その束縛を抱えて8年間生きていたことを伝えたかったのだと思います。
束縛、警戒などいろいろ言えたかもしれません。

不自由ではあったけれど安心できる場所として寝床が与えられている。
この人にとってはベッドの上というのは安心安定の場所であり、一つの拘束が保護していると考えると、あながち苦しかったりするだけではないわけです。

これは例えば、犯罪を犯して刑務所に入る、刑務所は監視されていますから、何もしなくても三食の食事と寝床が与えられるということは、安心でもあるのです。

これが現代の福祉事業を考えるうえで、つい2、3日前にある精神科医の話を聞いて納得したのですが、たとえば精神的に病気になっていらっしゃる方は、その人の周辺の人たちにはその病人は困った人になってしまうのです。
何らかの意味で迷惑、危険、不安、厄介、もしかしたら不必要とされている状況の中で、病気を理由に収容している。
独房や隙間のないような病室に寝かせられ、並べられている。
しかしそれは社会の安定・安心のために安全の守られている、この人たちを拘束することでこの人たちも社会も安心安全だという相互扶助理論というのが何十年前にはありました。

私もかかわりがありましたが、知的障害の人たちの親御さんたちがグループを作って公の力で生涯を全うできるように福祉施設をどんどん作っていきました。

たとえば鉄道弘済会は全国に知的障碍者の施設を弘済会という名前でたくさん作りました。

要するに保護、というのは当事者を守るということのほかに、社会からからも守られるという拘束論理が働いて作られました。

しかしそこで精神科のお医者さんは人権を守られる、ただ打算的に安上がり的にその人たちを収容する、いわば安上がり的な考えでひとまとめにしてある精神科は900人も収容し、そこで差別や暴力がない方がおかしいという、収容そのものが差別だというのに、そのような環境で収容されていました。

親たちは何がっても退院させないで、漏らさないでと何事もなかったかのようにといった空気がずっと作られていたという話がありました。

それだけ考えると、保護というのは愛的な行為だといえます。

そしてそれと同時に裁きという力も働いているといえるのです。

解放という裁き

このペテロが8年間もベッドこそが安住の場だとしていた、誰かが世話をしてくれる、社会的には安心だった人にペテロはイエスはあなたを癒すのだ、すぐに立ち上がりなさい、いわばベッドをたたみなさいという、いわば病人からしたら安心が神の力によって裁きを受けたと理解される、社会に出たら苦労するかもしれない、無理やり働かなければ、自分の生活を要求されるかもしれない。
しかし、神の側からすると解放という意味を持つ、ということをルカは書いているのだと思います。

この次にお金持ちの身分の高いご婦人が、当時やもめと呼ばれる人たち、貧しい、誰かが世話をしなければならない人たちに一生かけて面倒をみた、その人が亡くなってしまって泣くしかない人たち。

あまりいい言葉ではないかもしれないのでお許しいただきたいのですが、日本には公娼制度がありました。
いろいろな家庭の都合などでまずか叱ったり、養育しきれない地方の村の人が一年のうちの半分が雪の中で暮らす、私も東北出身ですが、朝から晩まで家の中で暖炉と煮炊きをするためのいろりで薪を燃やして暖を取る風景というのは、どこにもありました。
そして暖を取りながら酒を飲むという風景もよくありふれたものでした。

そのような風景が半年もつづきました。
子供も兄弟が12人とか、といるわけです。
さらに農家ですから、昔は自作農、小作農というものもあり。貧しい農家は出稼ぎに行っていました。ですから、いつ行ってもお父さんは留守をしていました。
お父さんは出稼ぎで帰ってきません。
ですから、若いご婦人はよその男性を呼び込んで稼ぐということもありました。

そういう状況です。

行き場を失った婦人たち

やもめという人たちは、要するに貧しい人たち。
そういう人たちが最後の最後に自分の性を売り、自分の身体を痛めながらなんとか三度の食事をするという生活をしていかなければならない、あるいは施してもらわなければならないという生活をしていました。

そのうちのひとつが公娼制度というものだったと思うのです。

それが戦後法律で廃止になり、そこで働いていた大勢の方々が社会に投げ出されました。

そこでそういう人たちを保護し、社会復帰をさせようという社会運動が起き、私もそのうちの一人に加えられ、働いてきました。

いろんな施設でなかなか相手は女性であるわけですし、子供とされる年代から性の商売をやられている人たちもいますから、変な言葉ですが男の味を知っている人たちもいるわけです。

福祉施設ですから、男性の職員もいるわけです。

そこでいろんなトラブルが起こりました。

ところが私が働いていた婦人保護施設には、男性職員は施設長さんと私だけでした。
そこで保護されている人たち、というのは自分の性を生活のために売っていた人たちなのです。
人によっては彼女たちは喜びながら自分の性を打って商売してきたんだという人もいます。
これは女性側の声でも、男性側の声でもありました。

ところが実際に個別的に面接をしてみると、そこには喜びなどひとかけらもありませんでした。
どうしてないものをあるようにいうのか、私は疑問でした。
喜びの「よ」の字もありません。
そして彼女たちを赤裸々に触れていくと、彼女たちは一般の社会人女性よりも非常に潔癖です。

ディアコニア

そして職員がいますが、19世紀にドイツで生まれた女性だけの社会奉仕運動というのが怒ったのです。
ある若い牧師が教会員の中からてんかん発作を持つ方を世話するために教会で引き取り、面倒を見ていました。
ただ、一人でなんとかできるわけではなかったことから、手伝いが始まりました。
これがディアコニア運動と言いますが、教会員の中から面倒を見るために仕事をするようになった、これがディアコニアの始まりとなりました。
これが世界大戦のころには3000人ものディアコニアがおり、やがて大学や病院まで出来上がったのです。
戦後、この運動が日本にも輸入され、東京でも始まりました。

当時はまだディアコニアの人たちの仕事は見つかりませんでした。
当初は保育園の保母さんや大きな教会の掃除などの仕事をしていましたが、1953年に公娼制度が廃止され、女性を保護する運動が開始されました。
そこへディアコニアの人たちがその仕事の一端を引き受けることになり、女性職員だけの施設ができました。

私はそこで奉仕というものを勉強させられました。

どういう勉強かというと、性を売って楽しみながら生活していたであろう女性たちに、話は外れますが、2・3日前に同性愛結婚に今の日本の国会は猛烈な反対があるのです。それは結婚というものがどこまでも子孫繁栄がという前提があるらしく、ものすごい反対があるようです。

また、イスラム社会でも同性結婚というのでしょうか、そのことを承認しようとする働きが芽生えてきたのだそうです。それは同性同士の結婚を認められないとする中で、同性同士の結婚ではないわけですから、法的外の営みとしてイスラム教のなかで認めていないという話をしていました。

性を売って生活しなければならない人と、性をもって自分の幸せを検討する人ではない人たちによって、その性を犠牲をしなければならない人たちのために奉仕するということに、私はとても感動しました。

私もその施設で働く上でディアコニアとして働くものとして聖書の学びをしてほしいということで、私は先生として何年間か一緒に生活していました。

「なぜ働きに来たの?」というと、ディアコニアの人たちは本当に純粋で、世間的に年頃になれば当然のように結婚できる人がこのような施設に来て、困難を抱えた女性のために自自分の一生を捧げ、他者の幸せのために自分の幸せを捨てるということを通じて、私は奉仕というものに目覚めさせられたのです。

奉仕を通じて

この使徒言行録もそうです。

やもめたちに奉仕をし、亡くなった女性に聞かされることは、人様の奉仕に依存して生活することではなく、いずれその人は死を待たないといけないときに、明日の生活の保障すら失ってしまうやもめたちに、こんどは自助的な働く場、生きる場を生きよ、と神の言葉で臨んだということを、パウロのはたらきの前提となっているところに、神学的な意味がここにあり、ペテロの働きも「神を愛すると同時に、厳しい審判を下すのも神なのだ、だから信頼して審判を受け入れなさい、それが福音なのだ」とルカは語りたかったのではないか。

教会に行けば三度の食事ができて、安心して床の上で寝ればいいというわけではない、キリスト者になるということは、わが苦しみを苦しみとして生きるところに神の愛があることを学ばれせること。
そこに神の力、福音があることをルカは書き残してくれているのではないか、そういう意味で歴史的な意味というよりも、教理の根本をここに書き残されているのではないかと思うのです。

古くて新しいものとして、聞き逃してはいけないことなのではないかと思わされるのです。

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